あなたが自己新記録を出すことに役立ちたい
スポーツは勝利していく遊び。そして勝利者は賞賛される。
一生懸命に遊んでいたら、褒められるのだ。
「ゲームばかりやって!」と子どもに愚痴っている親だって
その子がeスポーツで賞金を稼ごうものならコロリと態度を変えるだろう。
でもそれは「勝者に価値がある、敗者には価値がない」という偏った価値観を
親から、そして学校から刷り込まれている洗脳。
・テストの点は高い方がいい
・偏差値の高い学校の方がいい
・スポーツは勝てばいい
全部、教育で刷り込まれている社会洗脳と気づくことすらできないのに
勝て勝て、もっと高みを目指せ!と、それが価値だと押し付けてくる。
・方程式を駆使している主婦はいない
・日本国内で英語で暮らしている人もいない
・古典が読めるから暮らしが良くなる訳でもない
そんな無駄ができなかったとしても、人間の価値はこれっぽちも下がらないのに
学校の成績が悪いと人間の価値がないかのように勉強しろとまくしたてる。
勝たなくてもいいんです。賞賛されなくてもいいんです。
だって、よろこびは
・今まで出来なかったことが出来るようになった
・今まで分からなかったことが分かった
などのちょっとした自己新記録更新のなかにあるのです。
大人が間違って作った「教えを詰め込む教育システム」のせいで
少しも自分で考えずに指示を待つばかりの子どもが多い。
その子たちにとって「自分で考えてごらん」のひと言は
何もない巨大な部屋に叩き込まれたように恐ろしくなるらしい。
「考える」ということに「無」を与えたのは誰だ!
勝つことに価値を持ちすぎる社会を作った大人に責任がある。
だから大人としてその間違いを正します。
自分で考える。
頭と心に動くイメージを投影する。
そのイメージをじっくりと手直ししながら、自分にとって最高の動きに近づけていく。
頭と心に動くイメージを投影する。
そのイメージをじっくりと手直ししながら、自分にとって最高の動きに近づけていく。
理想のイメージが描けた瞬間、いてもたってもいられなくて、すぐに試しにフィールドに出る。
これが、スポーツでするべき一番大切なこと
このイメージを作ることができない全員に、イメージの作り方を伝えたい。
その人の自己新記録を、その人の気づきの喜びを与えたい。
その人の自己新記録を、その人の気づきの喜びを与えたい。
手柄を立てたいんじゃない。役立ちたいんだ。
どうせスポーツは遊びなんだから、楽しもう!